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勝海舟(五) 子母澤寛 新潮文庫

 

ネタバレ無しの読後感想
海舟は46歳となり、陸軍総裁を命ぜられ官軍に対しての全権を任せられるが、徳川慶喜が上野寛永寺で謹慎中であっても、官軍に抗戦を望む意見が大半を占める徳川家臣を説得することもなく、慶喜の思いを果たしていく。
慶喜の謹慎を無駄にしないように心を割きながらも、朝廷が慶喜の身を傷つけようとするならば交戦を辞さないという考えすら徳川家臣たちに語ることもなく、大業を成し遂げた海舟の深い考えと肝の太さに感嘆を覚える。
鳥羽伏見の戦い後すぐに大坂城を捨て、家臣たちを置き去りにして江戸に帰り謹慎の選択をした徳川慶喜という人物に興味を覚える。
なぜ見苦しいまでに江戸へ逃げ帰ったのかは、実父徳川斉昭の存在が大きかったのではないかと思う。天皇を中心とする国のあり方を思う「尊王思想」の母体ともいえる水戸徳川家で育った慶喜にとって、天皇の勅命を受けた征討軍と戦うことは、あってはならないことだったのかもしれない。
しかし、家臣たちを置き去りにして、船で逃げ帰っていくというのは余りにも情けなく、将としての器を感じることが出来ない。知恵があっても尊王思想に縛られて、身動きが取れなくなってしまったということなのだろうか。

 


 

<子母澤 寛さんの紹介>
明治二十五年(1892)、北海道に生まれる。本名、梅谷松太郎。明治大学法学部卒業。読売新聞・毎日新聞の記者をつとめた。昭和三年『新選組始末記』を出版。のち股旅小説を多数発表、『弥太郎笠』『菊五郎格子』『国定忠治』『すっ飛び駕』『駿河遊侠伝』などがその代表作。戦後は幕末遺臣と江戸への挽歌ともいうべき作品『勝海舟』『父子鷹』『おとこ鷹』『逃げ水』などを発表、昭和三十七年に菊池寛賞受賞。随筆の名手として知られ、『ふところ手帖』(正統)のほか『愛猿記』『よろず覚え帖』などがある。昭和四十三年(1968)没。(中公文庫から)

 


 

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