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司馬遼太郎 竹内和重 翔ぶが如く(二) 文春文庫
カバー装画 竹内和重

 

西郷隆盛と大久保利通 ― ともに薩摩の生をうけ、維新の立役者となり、そして今や新政府の領袖である二人は、年来の友誼を捨て、征韓論をめぐり、鋭く対立した。
西郷=征韓論派、大久保=反征韓論派の激突は、政府を崩壊させ、日本中を大混乱におとしいれた。事態の収拾を誤ることがあれば、この国は一気に滅ぶであろう・・・・(文春文庫 裏表紙から)

 

司馬遼太郎 竹内和重 翔ぶが如く(三) 文春文庫
カバー装画 竹内和重

 

― 西郷と大久保の議論は、感情に馳せてややもすれば道理の外に出で、一座、呆然として嘴を容るるに由なき光景であった ―。
明治六年十月の廟議は、征韓論をめぐって激しく火花を散らした。そして・・・・西郷は敗れた。故国へ帰る彼を慕い、薩摩系の士官達は陸続として東京を去ってゆく ― 内戦への不安は、現実となった。(文春文庫 裏表紙から)

 

司馬遼太郎 竹内和重 翔ぶが如く(四) 文春文庫
カバー装画 竹内和重

 

西郷に続いて官を辞した、もとの司法卿・江藤新平が、明治七年、突如佐賀で叛旗をひるがえした。この乱に素早く対処した大久保は首謀者の江藤を梟首に処すという実に苛酷な処置で決着をつける。
これは、政府に背を向けて、隠然たる勢力を養い、独立国の様相を呈し始めている薩摩への、警告、あるいは挑戦であっただろうか。(文春文庫 裏表紙から)

 

司馬遼太郎 竹内和重 翔ぶが如く(五) 文春文庫
カバー装画 竹内和重

 

征台の機運が高まる明治7年、大久保利通は政府内の反対を押し切り清国へ渡る。実権を握る李鴻章を故意に無視して北京へ入った大久保は、50日に及ぶ滞在の末、ついに平和的解決の糸口をつかむ。
一方西郷従道率いる三千人の征台部隊は清との戦闘開始を待ち望んでいた。大久保の処置は兵士達の失望と不満を生む。(文春文庫 裏表紙から)

 

司馬遼太郎 竹内和重 翔ぶが如く(六) 文春文庫
カバー装画 竹内和重

 

台湾撤兵以後、全国的に慢性化している士族の反乱気分を、政府は押さえかねていた。鹿児島の私学校の壊滅を狙う政府は、その戦略として前原一誠を頭目とする長州人集団を潰そうとする。川路利良が放つ密偵は萩において前原を牽制した。しかし、士族の蜂起は熊本の方が早かった。明治9年、神風連ノ乱である。(文春文庫 裏表紙から)

 

司馬遼太郎 竹内和重 翔ぶが如く(七) 文春文庫
カバー装画 竹内和重

 

熊本、萩における士族の蜂起をただちに鎮圧した政府は、鹿児島への警戒を怠らなかった。殊に大警視川路利良の鹿児島私学校に対する牽制はすさまじい。川治に命を受けた密偵が西郷の暗殺を図っている ― 風聞が私学校に伝わった。
明治十年二月六日、私学校本局では対政府挙兵の決議がなされた。大久保利通の衝撃は大きかった・・・・。(文春文庫 裏表紙から)

 

司馬遼太郎 竹内和重 翔ぶが如く(八) 文春文庫
カバー装画 竹内和重

 

明治十年二月十七日、薩摩軍は鹿児島を出発、熊本城目指して進軍する。西郷隆盛にとって妻子との永別の日であった。迎える熊本鎮台指令長官谷千城は籠城を決意、援軍到着を待った。戦闘は開始された。「熊本城など青竹一本でたたき割る」勢いの薩軍に、緻密な作戦など存在しなかった。圧倒的な士気で城を攻めたてた。(文春文庫 裏表紙から)

 

司馬遼太郎 竹内和重 翔ぶが如く(九) 文春文庫
カバー装画 竹内和重

 

熊本をめざして進軍する政府軍を薩軍は田原坂で迎えた。ここで十数日間の激しい攻防戦が続くのである。薩軍は強かった。すさまじい士気に圧倒される政府軍は惨敗を続けた。しかし陸続と大軍を繰り出す政府軍に対し、篠原国幹以下多数の兵を失った薩軍は、銃弾の不足にも悩まされる。薩軍はついに田原坂から後退した・・・・。(文春文庫 裏表紙から)

 

司馬遼太郎 竹内和重 翔ぶが如く(十) 文春文庫
カバー装画 竹内和重

 

薩軍は各地を転戦の末、鹿児島へ帰った。城山にこもる薩兵は三百余人。包囲する七万の政府軍は九月二十四日早朝、総攻撃を開始する。西郷隆盛に続き、桐野利秋、村田新八、別府晋介ら薩軍幹部はそれぞれの生を閉じた。反乱士族を鎮圧した大久保利通もまた翌年、凶刃に斃れる。激動の時代は終熄したのだった。(文春文庫 裏表紙から)

 


 

きっと誰もが、その名を知っている小説家ではないだろうか。一部には「歴史を歪曲している」と批判をうけているが、人気があるゆえの代償か。
私の父母も司馬遼太郎の小説が大好きで、本棚にズラッと並んだ背表紙は図書館の様であった。
私自身は何から読み始めたのか定かな記憶はないが、「竜馬がゆく」や「最後の将軍」などの幕末を描いた小説だったのではないかと思う。母や姉などは、「新選組血風録」を読んだ後に東京都の日野へ足を運んでいた。歴女のはしりか・・・
いずれにして、読書の楽しさを教えてくれた作家であることは間違いない。

 


 

<司馬遼太郎の紹介>
大正12年(1923)、大阪生まれ、大阪外語大学蒙古語学科卒業。戦後まもなく、産経新聞社に入社し、文化部記者となる。昭和34年、『梟の城』により第42回直木賞を受賞。
36年出版局次長を最後に産経新聞社を退社。同42年『殉死』により第9回毎日芸術賞を受賞。主なる著書、『上方武士道』『豊臣家の人々』『国盗り物語』『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『空海の風景』ほか。(中公文庫から)

 


 

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