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遠藤周作 熊谷博人 海と毒薬 角川文庫
カバー装画 熊谷博人

 

日本人は、今次対戦末九州大学で外人捕虜を生体解剖に処すという戦慄的な非人道行為を犯した。「海と毒薬」はこの事件を作品成立のモチーフとするが、作者はこの異常な事件を内面化し、事実とまるで異なった次元のもとに描き出し、単なる恥の意識ではなく、日本人の罪責意識を根源的に問おうとした。(角川文庫 カバーそでから)

 


 

ネタバレなしの読後感想

 

昭和49年8月発行の第12版を読み返してみました。購入時は中学2年生か3年生だったと思われるので、当時の私にどの程度理解ができたのかと思うほどに、深く重たいテーマが描かれています。
第二次世界大戦末期に日本に対して無差別爆撃をして捕虜となった兵士に、医学の発展のために生体解剖実験をした医師・研究生・看護婦とそれに立ち会った軍人を通して、罪の意識のありようが書かれていますが、全体に自分の意志を捨てて流されていく様子が気になりました。戦時下で多くの人たちが命を落とし、十分ではない医療の中で患者も死んでいく。人の命が軽んじられ易い状況であるものの、生体解剖実験が殺人であることを十分に意識していながらも抗うことなく手を下すことは狂気の世界であるが、罪の意識が全く無かったわけではなく、それぞれがそれぞれの理由をつけて自分自身を納得させて、罪意識と嫌悪感を抑え込んでいるようだ。
信仰を裏付けとしていない多くの日本人の罪への意識の希薄さを多くの人が口にしているが、道徳や倫理観がそれを補っているのかもしれない。だとしたら、日本人の罪と罰の意識は欧米に比べると異色のものだろう。「そんなことをしたらバチがあたるよ。地獄に行くよ。」と言われて、ひるむ日本人がどれだけいるだろうか。薄笑いを浮かべて、やり過ごすのが関の山ではないだろうか。
キリスト教では実際に罪を犯さなくても、「殺したい」とか「妬ましい」と “悪い思い” を思い描いても罪になるとしている。“悪い思い“ は次から次へと訪れるから厄介だ。例えば駅の構内で人とぶつかり荷物をバラまいてしまった時に、「ぶつかったくせにそのまま行くのかよ」「おいだれも拾ってくれないのかよ」「あいつ踏んでいったな」と“悪い思い” のオンパレードになる。そこで贖罪(キリストが十字架での死によって、人類を罪の許しの代償となったこと)があり、告悔や祈りによって罪が許されるとしている。法的な罪は許されないにしても、罪をとその責任を意識するには十分かもしれない。

 


 

狐狸庵先生こと遠藤周作さんは、中学生から高校生にかけて、時に愉快であり、時に厳かな文章を与えてくれた。
中学生3年生の時に、こんなことがありました。夏休みの宿題に読書感想文の提出があったのですが、なんの打ち合わせもしていなかったのですが、友人と私が遠藤周作さんの『黒ん坊』の読書感想を提出したのです。それを知った時に、思わずニンマリとしてしまいました。
中高学生の頃は、どうしてもユーモアたっぷりの『ぐうたら』を冠する作品を好んで読んでしまったが、奥の深いテーマを持つ『海と毒薬』や『沈黙』は、読書の楽しさを教えてくれる。
さすが「違いがわかる男」。

 


 

<遠藤周作さんの紹介>
1923年3月27日東京生。慶応大学仏文科卒。学生時代から『三田文学』にエッセイや評論を発表。55年「白い人」で芥川賞獲得。66年「沈黙」により谷崎賞受賞。代表作「海と毒薬」「死海のほとり」他。

 

遠藤周作さん その他の文庫本

黒ん坊
ただいま浪人
ぐうたら人間学
狐型狸型
父親(上)
ボクは好奇心のかたまり
深い河

 


 

 


 


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